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興味深い記述です。

 投稿者:佐藤 信  投稿日:2018年 6月 2日(土)11時31分56秒
返信・引用
  最近では、いわゆるSNSで情報をやり取りする方法が流行っています。ツイッターとかフェイスブックというのがそうですが、たまたま先ほどこんな書き込みを見つけました。「歴史探求社」と名付けられたページです。


古事記では、イザナギはイザナミ恋しさに行ってはいけないと言われた、黄泉の国(よみのくに)にイザナミを訪ねて行き、そこで腐敗したイザナミの姿を見て逃げ帰ってきます。最後に、黄泉比良坂(よもつひらさか)の出口のを大岩で塞ぎイザナミと決別するのです。黄泉の国に旅立った人とは、その時点で決別するべきであるというのが日本の伝統的な考え方であり、古事記はそれを教えてくれています。
一昨年ですが、天皇陛下のお言葉の中に「天皇の終焉に当たっては,重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。」というお言葉がありました。現代のように心停止や脳死という明確な死への判定がありませんから、何を持って死とするかということで、殯(もがり)の慣習が始まったのだと思われます。
生前の姿を忘れないでいることだけが大切なことであり、嘆き悲しんでいてはいけないのです。ましてや、輪廻転生がなされるというなら、死者はもう別の姿になって新しい生を受けているかもしれません。死者に対する不必要な伝統は見直すべき時に来ているようにも思います。
 
 

盛会御礼

 投稿者:今井 俊昭  投稿日:2018年 5月26日(土)21時50分18秒
返信・引用
  皆様、
本日はお疲れさまでした。おかげさまで今回も盛会となりました。
厚く御礼申し上げます。
小池さん(ご主人)のお元気そうな姿を久しぶりに拝見できて、うれしかったです。
次回もぜひご参加ください。

次回以降の日程です。
2018/10/27(土) お題:14歳からの哲学から16「恋愛と性」
2019/5/25(土)お題:未定
2019/10/26(土)お題:未定

今後ともよろしくお願い申し上げます。
 

仕事と生活

 投稿者:今井 俊昭  投稿日:2018年 5月25日(金)22時51分41秒
返信・引用
  仕事と生活

国分寺駅のすぐそばに殿ヶ谷戸庭園というのがある。入園料は一般が150円。しかし
私は70円で入園できる。なぜか?それは私が65歳を超えているからである。言い換え
れば老人ということらしい。定年も過ぎ、仕事を卒業して悠々自適の生活で、趣味三昧に
生きたいのだが、実際にはまだ働いている。理由は二つあって、ひとつはボケ防止、もう
ひとつは生活の足しである。
ボケ防止というのは、特に男性の場合、会社勤めを辞めてしまうと交際範囲が狭くなり、
ひいては家で閉じこもりがちになってしまうといった類のことを防ぐ意味合いがある。も
うひとつは全く下世話な話で恐縮だが、生活の足し。お金というのはないよりはあったほ
うがいい。年金だけでは十分ではないし、もともと少ない資産の食い潰しの速度を低下さ
せることができる。
しかし、こんなことを考えながら生活していると、潤いはなくなるし何を目的に生きて
いるのかわからなくなりがちである。池田さんのいう義務とか強制の範疇にはいってしま
う。

「仕事と生活」の章を読んでいて救われたことがあった。仕事も生活も権利であって義
務ではない。権利だから働きたくなければ働かなければいい。生活も権利だ。そう考えれ
ば義務という呪縛から解き放たれる。
 私の場合、定年は過ぎているので、働く、働かないは私自身の選択にゆだねられる。働
く必要があれば働けばよい。他から束縛を受けることはない。ウーン、仕事かあ、いつま
でやればいいんだと思っていたのが、憑き物がポトリと落ちた感じである。
人間の致死率は100パーセント。でも言い方を変えれば、死ぬまで生きる確率も100パ
ーセント。池田晶子さんは、生きることはその人の自由だという。生きるために食べる、
食べるために稼ぐ、そのために仕事をする。この連鎖からは逃れられないのだけれども、
生きなければならないとか食べなければならないとか、義務とか強制と捉えると人生は楽
しくなくなり、負のスパイラルにはまってしまう。
死ぬまで生きる確率が100パーセントならば、生きること、食べること、稼ぐこと、仕
事をすることを楽しめばいい。仕事はできるあいだはやればいい。こう考えれば仕事がで
きなくなっても人生を楽しむことができる。

当初、今回のお題は正直いって定年を過ぎた人間には不向きと思っていた。でも読んで
いるうちに、義務でないものを義務と考えるからおかしくなるのであり、つまらなくなる
ということがわかった。私にとって非常に参考になり、これだけでも大収穫であり、眼か
ら鱗が落ちる思いがした。
池田さん、ありがとうございました。
 

仕事と生活

 投稿者:こいけ  投稿日:2018年 5月23日(水)22時22分13秒
返信・引用
  仕事と生活

・本を整理するには迷いが生じる。
 これからも読み続けたい本であるか、記憶に残せれば良い本であるか?
 自分のみが読めば良い本であるか、家族等に勧めたい本であるか?
 本棚に並べる本であるか、押入にしまう本であるか、捨てても構わない本であるか?

 本を手元に残すか、捨てるか
すべては、自分の意思(判断)で決めることである。

・1冊の本が欲しいとき
親(私)は、内容やそのレベルを調べて、また
家族のことを前提に本代や読書時間をどうするか考えないと、購入できない。
子には、難解な内容でも時間がかかろうが、読みたい本を与えたい。

子は、家族の態度を気にせず、読みたい本を購入すれば良い。
でも、本を読み続けるために、
内容に興味を持ち、理解のための勉強を続けることは必要です。
 

仕事と生活

 投稿者:なべちゃん  投稿日:2018年 5月23日(水)17時26分17秒
返信・引用
   今回のテーマは、「仕事と生活」。文章後半には、「食べるために生きる」のか、「生きるために食べる」のかと問う。前者は「生活」で後者は「仕事」と読み返えられる。池田さん流にいうと、「考えるために生活する。」だから、「生活するために考えを書く(或いは発表する)」というところだろうか。
 仕事は手段であって、目的ではないはずなのに、有償・無償にかかわらず「仕事に追われる」という生き方が生活を苦しくさせる。つまり、生活の主軸が、仕事に追われては駄目だと気付く。
 イチローは、夢を達成し生活も豊かにみえる。一方で、その仕事である「プロ野球」のために生活の大半をささげているようにもみえる。
 先日、久しぶりにSE仲間が集まった。定年を迎えた人、びっくりするくらい恰幅のよくなった人、それぞれの話で盛り上がったが、その中に沖縄暮らしをしている同期もいた。
 彼は二十数年前、南国での暮らしをすると言って結婚後、東京を離れた。友人は、日焼けした元気な姿をみせ、東京と違い毎日のように昼寝もする生活だと話していた。皆が、それで生活していけるのかと心配したが、必要最低限稼げれば、問題もないと言う。勿論、二人の子供もしっかり育てた。年収の多い少ないで人を判断しがちなのは都会に住むからか…

 春先に、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読んだ。心理学者である彼はナチスの強制収容所での体験を客観的視点で綴った。自由や楽しみを全て奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されている。そして、彼を含め極限状態の中でなお人間らしい尊厳ある態度をとり続けた人がいたことを体験した。フランクルは、人の主要な関心事は快楽を探すことでも苦痛を軽減することでもなく、「人生の意味を見出すこと」であるとする。人生の意味を見出している人間は、苦しみにも耐えることができる。
 そして、この5月NHKの「100分で名著」に神谷美恵子の「生きがいについて」が紹介された。精神科医でもある神谷さんはハンセン病患者の研究に力を注いだ。世間から隔離され、療養施設において絶望的な状況にある患者たちが、なぜ希望を失わずに生きられるのか。彼女はそんな患者に寄り添いながら「苦しみや悲しみの底にあってなお朽ちない希望や尊厳」をみつけた。
 どちらも私たちが考えるような「生活」とはかけ離れた状況ばかりだ。でも、世界を見れば、こうした生活もまた現実に山ほどある。
 二人の作者は、日常を平凡に過ごしている私たちが「生きがいをいかにおろそかにしているか」「生きがいを奪い去られるような状況に直面した時にいかにもろいものか」と問いかけている。神谷さんは、「生きがい」が決して言語化できない何かであり、考える対象ではなく「感じられる何か」であると言った。
 考えるにしても感じるにしても、身体の内面であることに違いない。ただノホホンと暮らしていたら「生きるために生きている」ことも気づかず、目的も明確にならないまま、間の抜けた人生を送りそうだ。
 せめて私は、「知りたいから生きる」といえるような、好奇心の泉だけは枯れさせたくない。

 

Re: 北野大先生講演 聴講報告

 投稿者:大野  投稿日:2018年 5月23日(水)13時00分42秒
返信・引用
  > No.256[元記事へ]

訂正 ①おせっかい  下部 公立大 → 国立大

> 講演聴講報告
> 北野大先生の講演会を所沢で聴講する機会がござましたので、東西南北の会の皆様にご報告いたします。
> アメリカでのポスドク研究後Dr.北野大は、新井俊郎先生により化学品検査協会で採用され、新井先生亡き後、リーダーを務め、ご定年後は淑徳大学教授を経て、現在は、所沢にある秋草学園短期大学の学長に就任されています。実の弟様が「世界の北野」と称される北野武様で、ご家族についてもTV番組で頻繁ご紹介され有名です。
> 今回の講演は、平日の午後で、会場は地元の高齢者でほぼ満席でした。導入部は高齢者が健康寿命を延ばすために大事なことをご自身の生活の話題を引き合いにお話しされました。そして、本題は、有名な北野兄弟を育てたお母さまの教えを、大氏のキャリア、専門分野の知識、自説、芸能活動を通して知った話題、大学教育を通して学んだ哲学的な内容などを面白おかしく織り交ぜ絶妙な口調で2時間弱 講演されました。以下講演内容のメモです。
>
>
> 「北野家に育ち、今お伝えしたい事」
>  講師 北野大(秋草学園短期大学 学長)
>  4月17日(火)午後2時30分~ 於 新所沢公民館
>
> 健康寿命のため留意すること
> ①運動; 通勤で階段1000段
> ②食事; 酒を控える (補酵素のJカーブ)
> ③生きがい; きょういく (今日行く(所がある))
>
> 岸氏 高齢者の注意3点
> ①転ぶな - 対策:歩け
> ②生きがい - 今日行く
> ③義理を欠け -無理せず自分の健康第一を優先する 例:無理して葬儀参列などしない
>
> 北野家 母の教え
> ①おせっかい
>   足立区 (北野大氏 生まれ育ち在住) には 垣根がない ⇔ ある 世田谷、杉並
>  余談:ロンドン、パリ、東京など大都市は 西が高級 何故?
>        北野氏考察 西部は朝日に向かって通勤、夕日に向かって帰宅 いつも太陽向き
> 自助・共助・公助 ; 共助が大切、共助とは おせっかい
> 北野母 は自分の子供のみならず、近所の子にも機械科を勧めて入学させた。どうやら機械科にいけば手に職がついて食いはぐれがない、と考えていたらしい。
> 大氏は、子供のころに片言で外人と言葉が通じたことに感激して文学部を志望し、国立大に受かった、が、お母様は大反対、文士は結核で早死にすると信じていた様子。結局、工学部、ただし機械ではなく化学の道に進んだ。(*このころは化学産業が日本で急成長した時期です)
>
> ②やせがまん
> 江戸っ子はそばに少ししか汁をつけない、死に際の一言が、汁をたっぷりつけたかった、という落語がある。これがやせ我慢。
> 北野母は金持ちではなかったが、野菜は安いスーパーではなく、近所の八百屋で買っていた。
> 大氏持論:野菜は高くても国産を買うべき。
> 国産も外国産も市場に出回る野菜はすべて検査に合格しているので、安全ではあるが、日本の農業を守るため、やせ我慢せよ。
>   余談:「安全と安心」どう違うか? (弟の武氏の答えは 字が違う ~!? だった)
>        安全は科学的・客観的な証拠があり、安心は主観的なもので根拠がない。豊洲問題でも話題。
> 日本の農業は小農家が支えている。財閥は手を出さない、なぜならば、気温が2℃変わるだけで作物が育たなくなる、リスクが大きい。数年前は緊急輸入したが、輸出側は自国優先なのは自明。日本人はやせ我慢してでも、高い国産野菜を買って、自国の農業を守るべきだ。
>
> ③もったいない
>  It’s a pity that's wasting.! ( ケント デリカット訳)
> 日本語にしかない、世界が注目しているコンセプト。
>
> 共生(ともいき) 以前教鞭をとった淑徳大学の教育方針(仏教僧が作った学校)仏教研修があり、参加した
> マナーは心の表れ、食べ物を残してはいけない、いただきます、黙喰(黙って食べる)
>
> 四苦八苦 (仏教)
>    四苦:生、老、病、死  +愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)計八苦
>
> ⇔ 秋草学園の教育方針は 愛される女性を作る。 私学はそれぞれ方針が違う。
>
> 北野母がよく言っていたこと
> 1.実るほど首を垂れる稲穂かな
> 2.自慢高慢馬鹿がする
> 3.一杯の酒に城が傾く、 ただほど高い物はない (酒=わいろ、城=地位、財産、名誉)
> 4.物をもらって怒る人はない
> 5.ヒトは物がほしい時には物をくれない (物を贈る時は下心がある)
>
>
> Q&Aの中で名前についてお話しがあった。
> 長男の「勝 まさる」は優秀だったが10歳で亡くなり、翌年「大 まさる」が生まれた、」大きく育ってほしい、と 大 という漢字を選んだ。
>
> 以上
>
 

「仕事と生活」を読んで

 投稿者:佐藤 信   投稿日:2018年 5月23日(水)08時29分18秒
返信・引用
  平成30年5月26日(土)の討論会へ向けて
池田晶子著「14歳からの哲学」17『仕事と生活』を読んで

   新井俊郎先生が晩年「池田晶子という哲学者は難しい話を論理立ててわかり易く書いくれて
  いる。是非この本を読みたまえ!」と盛んに言ってくれた。何故あれ程まで真剣に言ってくれ
  たのか、なかなかその真意が分からないままだったが、お二人ともあの世に逝ってしまい、そ
  の心中を察すれば「常に本質を見極めよ!」と「自分の頭で考えよ!」だと思っている。

   今回の「仕事と生活」の章で一番印象に残ったのはこの言葉だ。
  「そんなことでは生きていけないよ」と言われたら「何のために生きてゆくの」って、問い返
  せばいい。「お父さんは、仕事をするために生きているの、それとも生きるために仕事をして
  いるの、どっちなの」ってね。14歳の子供に語りかけて人間の本質に迫る言葉だ。

   自分の子供にちゃんと仕事に就いて生きて行って欲しいと願う親がつい言ってしまいがちな
  言葉を逆に、子供の立場で親に対して「仕事をする為に生きているのか、生きる為に仕事をす
  るのか」問いかけてみるといいと教え、意外にその本質を分かっていない大人が多い事を指摘
  している。

   新井先生に出会って40年以上が過ぎている。教壇に立つ先生の姿が今でも脳裏に蘇る。
  自分自身がもうあの時の先生の年齢を遥かに超え娘や息子も社会人となっている今、果たして
  自分が教師として若い学生の前に立てるかと問われれば、正直自身はない。しかし、先生から
  あの時に教えてもらった事を自分なりにして追求して来た人生だったと思う。

   自分の人災ももう最終コーナーを回っているのかもしれない。
① 先ずは自分が何のために生きているのか?
② それが明確になれば、その為に真剣に努力しているかを改めて自分に問いたい。
③ その為に金が必要ならば稼ぐことも考えていきたい。

  「自分の人生をお陰で大事に前向きに生きています」と答えたい。

  その為には死ぬことの重みを考えたい
① 武士道とは死ぬる事と見つけたり(葉隠)
② ゼロ戦で敵に突っ込んだ若き日本兵
③ 麻原彰晃 ポアするという命の軽視
④ ISイスラム国が簡単に人を殺す事
⑤ 自爆テロの恐怖
⑥ 自分の肉親の死に臨んで感じた事
⑦ 幼稚園時代からの友人はあまり語らないが看取りの医者になっている
⑧ いつか自分自身にもその瞬間が訪れる

                    ・・・(平成25年5月23日午前8時24分)
                                   佐藤  信

http://haruyoshi111.blog106.fc2.com/

 

北野大先生講演 聴講報告

 投稿者:大野  投稿日:2018年 5月22日(火)13時19分5秒
返信・引用
  講演聴講報告
北野大先生の講演会を所沢で聴講する機会がござましたので、東西南北の会の皆様にご報告いたします。
アメリカでのポスドク研究後Dr.北野大は、新井俊郎先生により化学品検査協会で採用され、新井先生亡き後、リーダーを務め、ご定年後は淑徳大学教授を経て、現在は、所沢にある秋草学園短期大学の学長に就任されています。実の弟様が「世界の北野」と称される北野武様で、ご家族についてもTV番組で頻繁ご紹介され有名です。
今回の講演は、平日の午後で、会場は地元の高齢者でほぼ満席でした。導入部は高齢者が健康寿命を延ばすために大事なことをご自身の生活の話題を引き合いにお話しされました。そして、本題は、有名な北野兄弟を育てたお母さまの教えを、大氏のキャリア、専門分野の知識、自説、芸能活動を通して知った話題、大学教育を通して学んだ哲学的な内容などを面白おかしく織り交ぜ絶妙な口調で2時間弱 講演されました。以下講演内容のメモです。


「北野家に育ち、今お伝えしたい事」
 講師 北野大(秋草学園短期大学 学長)
 4月17日(火)午後2時30分~ 於 新所沢公民館

健康寿命のため留意すること
①運動; 通勤で階段1000段
②食事; 酒を控える (補酵素のJカーブ)
③生きがい; きょういく (今日行く(所がある))

岸氏 高齢者の注意3点
①転ぶな - 対策:歩け
②生きがい - 今日行く
③義理を欠け -無理せず自分の健康第一を優先する 例:無理して葬儀参列などしない

北野家 母の教え
①おせっかい
  足立区 (北野大氏 生まれ育ち在住) には 垣根がない ⇔ ある 世田谷、杉並
 余談:ロンドン、パリ、東京など大都市は 西が高級 何故?
       北野氏考察 西部は朝日に向かって通勤、夕日に向かって帰宅 いつも太陽向き
自助・共助・公助 ; 共助が大切、共助とは おせっかい
北野母 は自分の子供のみならず、近所の子にも機械科を勧めて入学させた。どうやら機械科にいけば手に職がついて食いはぐれがない、と考えていたらしい。
大氏は、子供のころに片言で外人と言葉が通じたことに感激して文学部を志望し、公立大に受かった、が、お母様は大反対、文士は結核で早死にすると信じていた様子。結局、工学部、ただし機械ではなく化学の道に進んだ。(*このころは化学産業が日本で急成長した時期です)

②やせがまん
江戸っ子はそばに少ししか汁をつけない、死に際の一言が、汁をたっぷりつけたかった、という落語がある。これがやせ我慢。
北野母は金持ちではなかったが、野菜は安いスーパーではなく、近所の八百屋で買っていた。
大氏持論:野菜は高くても国産を買うべき。
国産も外国産も市場に出回る野菜はすべて検査に合格しているので、安全ではあるが、日本の農業を守るため、やせ我慢せよ。
  余談:「安全と安心」どう違うか? (弟の武氏の答えは 字が違う ~!? だった)
       安全は科学的・客観的な証拠があり、安心は主観的なもので根拠がない。豊洲問題でも話題。
日本の農業は小農家が支えている。財閥は手を出さない、なぜならば、気温が2℃変わるだけで作物が育たなくなる、リスクが大きい。数年前は緊急輸入したが、輸出側は自国優先なのは自明。日本人はやせ我慢してでも、高い国産野菜を買って、自国の農業を守るべきだ。

③もったいない
 It’s a pity that's wasting.! ( ケント デリカット訳)
日本語にしかない、世界が注目しているコンセプト。

共生(ともいき) 以前教鞭をとった淑徳大学の教育方針(仏教僧が作った学校)仏教研修があり、参加した
マナーは心の表れ、食べ物を残してはいけない、いただきます、黙喰(黙って食べる)

四苦八苦 (仏教)
   四苦:生、老、病、死  +愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)計八苦

⇔ 秋草学園の教育方針は 愛される女性を作る。 私学はそれぞれ方針が違う。

北野母がよく言っていたこと
1.実るほど首を垂れる稲穂かな
2.自慢高慢馬鹿がする
3.一杯の酒に城が傾く、 ただほど高い物はない (酒=わいろ、城=地位、財産、名誉)
4.物をもらって怒る人はない
5.ヒトは物がほしい時には物をくれない (物を贈る時は下心がある)


Q&Aの中で名前についてお話しがあった。
長男の「勝 まさる」は優秀だったが10歳で亡くなり、翌年「大 まさる」が生まれた、」大きく育ってほしい、と 大 という漢字を選んだ。

以上
 

仕事と生活

 投稿者:やまたけ  投稿日:2018年 5月22日(火)01時56分3秒
返信・引用
  17 仕事と生活

今回は考えが大きく広がったので、小論文と覚書の2部構成としました。

小論文

・「仕事をするために生きる」のか「生きるために仕事をする」のか。
 仕事の定義の問題は重要である。ここを明確にしないと同じ仕事という
 言葉を使いながら考えが混乱してしまう。
 前者の文脈で意味する仕事とは人生の意味・目的を成し遂げることを指し、
 後者のそれは具体的な職業としての仕事を指す。
 そして筆者は「仕事をするために生きよう」と言っている。
 もっと言えば正しい仕事をするために生きようでなないか、と言っている。
 そしてその正しい仕事とは何ぞやと自問し続けようといっている。

覚書

・人生の意味や目的が明確でないと「生きるために生きている」という事になる。
 漫然と生きているともいえる。
 そうなると人生のあらゆる選択が場当たり的で一貫性がなくブレてしまう。
・また人生の目的が志の高いものでないと、往々にして間違った方向に進む。
 例えばより多く稼ぎたい、金持ちになりたい等々、これはあくまでも手段であり
 目的にしてはいけない。
・但し資本主義社会の宿命として富(資産・金銭)の増大が目的化しており、
 その中で生きていく個々人の人生もそれとは無縁ではいられない。
・そして無縁でいられないならば、還ってそれにのめり込み最適化するような
 行動が良いと考える人が大勢出てくる。
 資本家は言うに及ばず、サラリーマンにも大勢いる。

・人間であることを離れ素直に生物として捉えれば生きることが目的で良い。
 遺伝子的に見た子孫を残すことが目的・大きな仕事である。
 「生きるために生きる」で全く構わない。悩む必要がない。
 しかし人間は考える葦であり、逆説的ではあるが下手に考えてしまう。
 そして程度の低いところで悩んでしまう。

人間は子を産んで育てるという目的を超えて長生きしすぎなのか。
子供を産み又は育てない生き方を選んだ時に人に寿命が60年程度だすれば
多くの問題が未然に防げるのだろうか。
子育てが終わった以降、若しくは子を産み育てない人生を送る人間は
何のために生きているのだろうか。

生きることが手段であるならば、その先に達成すべき目的はなんなのか?
その目的は誰も教えてくれず、個々人で考え出すしかない。
生きることが目的ならばその手段を選択する必要がある。
所謂仕事をすることである。

ただ人間は「生きるために生きる」ではなく別の目的意識を持って生きなくては
継続して力を発揮できない。それどころか悩み、迷い、時には絶望することも多い。

生きることが目的ではなく手段であるならばその具体性や
目的の志の高さが問題になってくるのだろう。
所謂「良く生きる」ということである。

目的と手段入れ替わるだけで生きる意味が全く違ってくる。
手段が目的と化してしまう。

人はその人が成功したい方法で成功したがる。
自分の考えに固執してしまう。
 

14歳からの哲学 ~仕事と生活~

 投稿者:あらいせいめい  投稿日:2018年 5月21日(月)21時00分54秒
返信・引用
  「行きたくなければ死ぬ(生きない)自由はある」とか「何がしたいのかよく分からない
なら、何もしなくてもかまわないじゃないか。何もしたくないということが、君のしたい
ことかもしれない。」というのは大変に有難い救いの言葉だ。でもそれは、手遅れになって
しまった場合だけに使うのがいいだろう。未来のある子どもたちにはまだ早い。


それにしても「生きない自由」もある、というのは新感覚の表現でおもしろい。

以前メンタルが低調な時期があり「自分は生きていていいのか?」とつまらない事を
思ったりした。だれかの許可を必要とするような。


そうではなく、自己決定可能な「生きない自由」という考え方は、自分が覚悟を持って
決めているのだからうんと楽だ。なんというか「生きない」と宣言することに、前向きさ
が感じられてちょっと愉快だ。暗くないのがいい。疲れ気味の人に贈る薬のような言葉
(考え方)なのだろう。


話がそれたが、覚悟をもって自分で決めた事とは、やりたい事であるから当然実行するし、
難しくても達成できる事が多いに違いない。そうすると、それらはすべて「楽しい」ことに
なるだろう。


仕事も生活もいろいろあっていい。様々な選択肢があり、どの選択をする時も「自分が
やりたくて選んだのだ」と覚悟ができているなら万事OK。そうすれば人のせいにする事も
なくなり、互いに幸せになれるはずだ。


すべては自分で選択した事だ、という真実にきちんと向き合っていく事が人生を豊かにする
ような気がしてきた。逃げないようにしよう。

 

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