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  • 「百聞は一沈にしかず」マイミク一沈さんの筆致 2008年08月12日 22:23 PAPA投稿

  • 投稿者:塾長
 
一沈さんは、この間の年の変わり目辺りに
NET上でお知り合いになったマイミクさんです。
http://www.loftwork.com/user/7571/
(最初こちら↑、Loftworkさんで偶然お見かけしました)
見事な「線の出来た」方で、水墨の冴えに一目ぼれしてメール差し上げたのがきっかけでした。

この方の筆致が、私がこのコミュでお伝えしようと試みてきた事の幾つかを
まさしく体現しておられるような方なので、
今日(08年8月12日)の一沈さんの日記を拝見しておりまして、
「話の話」みたいにして聴く私の絵画理論より
「百聞は一見にしかず」なんじゃないかと思い立って
失礼とは思いましたが日記の記事に直リンクを貼らせて頂く事にしました。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=729948340&owner_id=1732386
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=733701091&owner_id=1732386
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=740388808&owner_id=1732386
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=899692024&owner_id=1732386
(古い記事から順にリンク貼らせて頂きました)
塾長の勝手な引率で見学、と言う感じですが、
良かったら「百聞一沈」と言うことで宜しくお願いします。
(一沈様、あしからず...)

投稿者
題名
*内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
URL
sage

  • [34]
  • 動画

  • 投稿者:動画
  • 投稿日:2010年 1月18日(月)02時40分51秒
  • 返信
 
エロ 動画
エロ 動画
盗撮 トイレ
スカトロ
金髪 外人
ぽっちゃり 動画

  • [33]
  • 37 2008年08月25日 21:20 【一沈】

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時34分59秒
  • 返信
 
&、合いラヴ、波~!

【一沈】

  • [32]
  • 35 2008年08月25日 20:43 ちぃ

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時34分7秒
  • 返信
 
忙しいPAPA塾長の代わりに
・・・相ラブ言う!

  • [31]
  • 34 2008年08月25日 20:23 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時33分18秒
  • 返信
 
「本当に価値あるものはいつも必ず新価値なのだ」という至言があります。
しかして
本当の価値は必ず万人の胸の懐かしい故郷のにおいを含んでる。
そう言う事ですよね。

忙しくて斜め読みしか出来ません。
ごめんなさい。

ちぃさん、【一沈】さん
ありがとうございます。

  • [30]
  • 33 2008年08月25日 19:32 【一沈】

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時32分32秒
  • 返信
 
相ラブ言う!

【一沈】

  • [29]
  • 32 2008年08月25日 19:30 【一沈】

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時31分27秒
  • 返信
 
そう、PAPA塾長の、人徳です。
彼が,ビートルズのメドレーを日記にあげたのです。なんと言うオリジナリティー。
ぼくがビートルズを聴いたのは美大の1年生か浪人の冬です。
ちっちゃなコラムが朝日新聞にあって、ビートルズ旋風を小さく伝えていました。
そして,はやりのアイドルグループの紹介みたいなものでした。
ウッドストックのコンサートの記事もそうでした。
小さく,ニューヨーク郊外のウッドストックに向かう向かう道が果てしない交通渋滞を起こしていると言う記事でした。

そう現象でなく,文化の本質を言いたいですね。
今の文化は,特にアバンギャルドな文化はヤングジェネレーションあるいはウッドストックジェネレーションによって切り開かれ今の音楽状況はそれを乗り越えていない。
アートに於いてもそう言えるかもしれない。

ぼくは何をしていたのだ。

ビートルズは過去のポップスをすごく聴いていた。黒人のブルース、民族音楽そして,ドイツでのとてもハードな下積み時代。
ぼくはThe Beatlesと言うレコードを買って聴いたとき,とても懐かしいものを聞いた気がした。
新しいのに懐かしいとは何?

20歳そこそこの彼らは生き方の,音楽の悲しみを既に知っていた。
はなたれ小僧のぼくはそのそしゃくに戸惑いつつ胸を踊らせた。

エドサリバンとという大御所が敬愛をこめてThe Beatlesと紹介する。
今までのオーソドックスな文化系脈が一変する。
軽薄なラブソングがそれを越えたアートに変化した。

ビートルズの動きが全てを変えた。
アートも,町をうろついて何かするのも,すべて何かしら意味を持った。

ビートルズとはなにだったのか?
ジョンレノンがマッカートニーがすごかったのか?
それもある。時代と一緒になって彼らが蚤の発生のように出てきた。

この,煮詰まりきった時代にこそビートルズは形を変えて出てくるはずだ。
蚤の発生のように。

【一沈】

  • [28]
  • 30 2008年08月25日 14:18 ちぃ

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時27分36秒
  • 返信
 
それは、PAPA塾長の、人徳です。

  • [27]
  • 29 2008年08月24日 22:45 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時26分50秒
  • 返信
 
でもまあ
大所帯ではないですけど、このコミュはmixiの中でも人に恵まれてると思います。
コミュの皆さんには感謝しています。

  • [26]
  • 28 2008年08月24日 21:39 【一沈】

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時26分9秒
  • 返信
 
[ちぃ]先生:

お互い先生は止しましょう。ハハハ。
ああ,どうも恐れ入ります。
早速,実験してみます。
ありがとう、
教えてくれたので,やっぱり、[ちぃ]先生。

【一沈】

  • [25]
  • 27 2008年08月24日 20:32 ちぃ

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時25分31秒
  • 返信
 
>一沈先生へ
大分前の話題に戻ってしまいますので、もう意味が無いかもしれませんが・・・。
鉛筆の濃淡を活かして、白い余白を残さずに着彩する方法です。
私はいつも、線画(大体600dpiくらい)をスキャンして、それとは別に着彩用のレイヤーを新規で作成します。この時に、レイアーの描画モードを、『比較(暗)』にしてください。
色の重なった部分は全て、濃い方の色がイキになるので、濃淡の境界ぎりぎりまで、
鉛筆のグレーがイキになると思います。
どうぞ挑戦してみてください!
失礼いたしました!!

  • [24]
  • 26 2008年08月22日 00:05 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時24分47秒
  • 返信
 
>いつも反省ばかりして、いつも失敗して、
>いつも初めて事にあたるようにおどおどしています。

初めて絵を描く子供のように
そのまだ手垢のつかない胸の感光板が絵描きには必要なんだと
私もここで常々云って居たところでした。

>今度は、その事を書こうかな。

是非おねがいします。

  • [23]
  • 25 2008年08月21日 19:16 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時23分37秒
  • 返信
 
【一沈】さん
ペンタブレットが長い線に向かないと言うのは、
先ず第一には画面を見つつ手もとで描く時、
ペン先とカーソルの位置関係がやはり正確には行かないからです。
一息の長い緩急線でクロッキーと言うことが、
ペンタブレットには一番の苦手科目だと思います。

不本意でも、通常の絵描きの基準の長さの線で継ぎ継ぎの線を描く分には問題ないとは思いますが、
【一沈】さんの長さの線の呼吸の人にはいささかストレスが残ると思います。

第二に(これは些細なレベルですが)硬い板と硬筆で感知する筆圧が反映されるだけなので、
筆程の緩急が出にくいところです。
筆の入りの筆圧の変化には反応できても、
筆で言う「抜き」はまだまだ反映されるレベルではない、と言う事です。

主に塗りと言う事に絞って言えば「ペインター」と言う位で、
画材の馴れの範疇、完全だと思います。
私は、難しい技は何も知りませんがすばらしい道具だと思いますよ。

  • [22]
  • 24 2008年08月21日 18:05 【一沈】

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時22分47秒
  • 返信
 
[PAPA]さま:
手描きこそ、このような時代にぼくが生きれる道とおもって、電子的な道具はせいぜいスキャンをするぐらいにして、ラフなどで例えばこうなるよと言った事で、クライアントに見本としてみせるなどでフォトショップでカラーをドロップするぐらいにしていました。
この前の仕事で、一瞬その気持ちがぐらついています。
ちょっと、考えてみます。

長い線が描けないというのは、長い線を引いているデーターが途中で読み取れないとかになるのですか?

またいろいろ教えてください。

【一沈】

  • [21]
  • 23 2008年08月21日 17:27 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時22分0秒
  • 返信
 
>19の【一沈】さんさんへ

【一沈】さん、是非ペンタブレットでPainterやってみて下さいよ。
私はMACとpainterに触れて一週間目にPainterイラストでオンライン入稿出来ましたよ。
というのも、あれは紙を選び、筆を選び、色を選んでただ描くだけでいいソフトだからです。
多くの便利技は私や【一沈】さんの様な人種には基本的には無くてもいいものなんです。

※ただ一点、
ペンタブレットでは私や【一沈】さんの基本である長い線を描くのに適さない、
そこだけです。
あとはタダの画材ですよ。

  • [20]
  • 22 2008年08月21日 13:26 【一沈】

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時21分5秒
  • 返信
 
[スミック]さま:
あれれ、PAPAさんは大先生ですが、ぼくはその辺に転がっている、くそ爺です。
いつも反省ばかりして、いつも失敗して、いつも初めて事にあたるようにおどおどしています。
今度は、その事を書こうかな。

【一沈】

  • [19]
  • 21 2008年08月21日 08:31 ノーブスミ-

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時17分22秒
  • 返信
 
PAPA先生・一沈先生のお話大変勉強になりました。
ありがとうございました。

  • [18]
  • 19 2008年08月21日 07:45 【一沈】

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時16分41秒
  • 返信
 
なるほど、その白黒二階調、やってみます。
「ペインター」も一度試した事があるのですが、すごく複雑でこんな難しいものかとあきらめたのですが・・・
タブレットも必要かも。
、、、、うん。

【一沈】

  • [17]
  • 18 2008年08月21日 00:44 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時15分51秒
  • 返信
 
【一沈】さん
実は私も「便利技」一切に疎いオジサンです。
「1」の乗算と言うのが多分理屈の上で正解なのは理解してるんですけどね。

普段私がやるのは、
白黒二階調(線画とか白黒写真とかのモード)で800だの1000dpiだのの
高解像度で読み込みます。

それをグレースケールモードに変換→RGBモードに変換。
黒い部分を色指定してコピー、ペーストすると、
かなり白ふちのとれた墨線だけのレイヤーが出来ます。
それから解像度を適正な下げて、彩色を始めます。

私の場合MACを買ったのは
アトリエ買うよりはMAC+Painterの方が安いかも、と思って導入した次第です。
そんな訳でMACをで絵を描くのは殆どPainterの必要な時ですね。

  • [16]
  • 17 2008年08月20日 16:37 【一沈】

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時14分18秒
  • 返信
 
滅多にない仕事があって、二十数点の女性のスケッチをしました。
鉛筆で線画で描いて、フォトショップで色を付けると簡単かなと思っていましたが、フォトショップを使いこなしていないから、レイヤーだとかなんだとかこんがらがっているところに電話がかかってきて、「色は、当方で付ける事になりました」という事になって、昨日の夜にていきなり仕事が終わってしまいました。
助かったと思う反面、何んだか攻め上げる城の陥落を前に、撤退をしたような気持ちです。
幾分何か悪い事でもしたのかな、という気分です。

鉛筆で描いて選択範囲をとるとエンピツの黒いところと同時にその周辺まで選択範囲になります。で、反転さえせて色をドロップすると鉛筆と注した色との間に白いところが出てきて目障りです。
(選択範囲の数値を細かくすると薄い鉛筆線はとぎれてしまいますし)

で、仕事が終わってから、どうすりゃ良いのさと、ブラシのモードをいろいろ試してみました。
下の方の「カラー」というのを使うと現在選ばれている色系統に色が変わります。
へ~。で、カラーは茶色を選んでおいて鉛筆線をこすりますと、茶色のコンテで書いたようになりました。
「焼き込みカラー」「覆い焼きカラー」なんて使うとまだ良く解ってないけど、濃い色にぶつかるとそこには色がつかないとかなんとかあるみたいです。
これについての教科書なんてあるのかな~。
いろんな機能のほとんどを使っていないね~。あんまり深入りもしたくないけど。

昨日のようにたくさんの作業をやろうという時、パソコンが悲鳴を上げる。
今、気温が高いから、画面に点々が出たり調子悪いので、なおさら。
フォトショップが突然閉じてしまうという事が3~4回あった。
手慣れていない仕事だから、1、2点作るのなら問題がないけどこっちの方も修練が必要ね。
やり方をウンウン言いながら、やっているんじゃ素人だ。
それで、何となし、罪の意識があるんだ。
カラー注しをストップさせられてさ・・・・。
いつまでたっても素人臭いところがあるのね。どうも。

【一沈】

写真1:ブラシ・モードの[カラー]というのを悪戯して鉛筆線が茶コンテ調に変えてレイヤー上に色をのっけてみた例。乗算だの何だのを使うと線画が消えてしまう事がないように思う。
でもなんだかはっきり解らない。

写真2:選択範囲を指定して色を注した場合、鉛筆線の脇に白いところが残ってるでしょ?あれ、とっても不愉快。

  • [15]
  • 16 2008年08月16日 11:30 【一沈】

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時11分7秒
  • 返信
 
[PAPA]さま:
はい、エミリーです。"ドリーミング”というアボリジニー独特の大地との対話の考えがあって、その地にある事で、無限にエミリーは大地からイマジネーションを受け取ります。
ですから、一筆も迷う事無く、考える事も無さげに手は常に動いていました。
【一沈】

  • [14]
  • 15 2008年08月16日 00:45 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時10分30秒
  • 返信
 
【一沈】 さんが上記のコメントで触れてらっしゃる
アボリジニのおばあさん画家というのはこの人ですよね。
晩年の8年間だけの画業は神懸かりとか奇跡とか言われてます。
私も一度TVで観て驚嘆しました。

エミリー・カーメ・ウングワレー
Emily Kngwarreye
http://images.google.co.jp/images?q=Emily+Kngwarreye&sourceid=navclient-ff&ie=UTF-8&rls=GGGL,GGGL:2006-36,GGGL:ja&um=1&sa=X&oi=image_result_group&resnum=1&ct=title

  • [13]
  • 14 2008年08月14日 23:25 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時09分47秒
  • 返信
 
>この辺でいったん。筆を置きましょう。

と言う事はまた、気が向いたら続きが聴ける訳ですね。
しらふでNETで先輩の絵と半生の事を引き出せるなんて
私って何て「安上がり」の天才かしら。

でも、私にとって一沈さんは
一沈さんの年配で初めて観る(話をお聞き出来て嬉しい)チャンとした人です。
トゲのある危険な言葉ですけど、
私の一世代上の人達で、未だ誰一人として使える人、
芯の入った大人に出あった事がありませんでしたから。
餓鬼みたいな人生観のまま60超えちゃった日本人の多い事。
(いや、あと一人二人は居たか.....)

十年遅れに来た私達の中にはかえって、
一沈さん達、直接の先輩世代を飛び越えて
日本や先人に学んで来た人間が多くいます。

(非常に危ない発言の)余談でしたが、
今回が、私にとって初めての(自分から傾聴する)直接の先輩のお話になります。
と言う事でまた宜しくお願いします。

  • [12]
  • 13 2008年08月14日 21:33 【一沈】

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時08分26秒
  • 返信
 
【一沈】

ひょとしての誤解があるといけないから,申し述べます。
いわゆるデッサンい基づく絵やイラストが良いという言及ではないという事はよく読んでいただければお解りいただけると思います。
ぼくのように,デッサン・トラウマのある人間には,とんでもない図形や色彩を奔放に駆使する人々にこそ嫉妬を覚えます。
女性のファッションイラストの方などには,描写力を超えたファッションへの傾倒や女心にはぼくはどんなに逆立ちしてもそれを凌ぐ絵心を出すことは出来ません。

-+-+------+++----

ぼく、油絵出身なのね。でも,これもぼくには合わない絵の具。
下の絵の具が上の絵の具を覆いかぶせてしまう。透明水彩なら前に描いたものの上に新たな色がかぶっても,新たな表現が積み重ねになって生きてくる。

ひょっとして,日本画をベースにした方が良かったかも知れない。
線と、面との表現ということに於いても、今となれば、ぼくは日本表現の墨の線の方が合っていたかもしれない。

みんな絵の初歩では鉛筆を持つけど、江戸時代では何で描くだろうか?
多分墨と筆だよね。鉛筆画無くって墨と筆しかなければ、いきなりみんな水墨画を描いていたことになり、すごい筆使いとなる。
ぼくは最近は、鉛筆の代わりに筆をとってラフを思考することもある。
日本画の人が鉛筆を使って構想画を描いているけど、あれはなんだろね。

もっとも、最近の美大で絵筆や絵の具を使う学生がほとんど居ないという事だ。
頭ばっかりで描くちゃ、絵は描けない、って前のところで話したよね。
アボリジニのおばさんが80ぐらいから絵を描きだしたとか。基本はスピリチャルなものだから、どんどん描けてしまう。無限に発想し、無限に描けてしまう。
絵の勉強というアカデミックなことなどいっさい知らない。
凄い絵だ。大地に枠に張らないキャンバスを置いて、アクリル絵の具で描く。
自分の精神の生まれる地にいって、そこからの魂を吸い上げて描く。
何日も野宿をして。
難しい論理も、技巧も何も無い。あるのは魂の表現だけ。

-----++-+-----------++

またぼくの愚痴が始まるけど、ぼくって生まれたときから中途半端なのね。
1945年、日本の敗戦のときにぼくは生まれた。
焼け野原で、食うものも無い。いつもおなかすいていた。

この時代が中途半端の始まり。日本は劣等国で、アメリカやヨーロッパは高等な国という変な中途半端。
ぼく自身の怠慢による中途半端から、社会的な中途半端もあげれば枚挙のいとまが無い。
あるときぼくは、この自身の中途半端を始めとし、あらゆる社会的中途半端を見て、このだらしない世界をそのあままに見ようと思った。
中途半端がなぜ悪い。ぼくと現代を作っている要素は中途半端そのものじゃないか。

ぼくたちは厳然とした文化を持った民族です。
その美意識は悲しみを乗り越えた美意識。世界がこの美意識に注目し、そして今も新たな興味を誘っている。
この文化は、明治維新と、敗戦と、バブル崩壊でずたずたにされてきた。

笑っちゃうほどぼくたちは中途半端だ。
さてさて、どうすりゃ良いの?
というわけで話の根本が崩れそうだから、この辺でいったん。筆を置きましょう。

  • [11]
  • 11 2008年08月14日 14:01 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時02分40秒
  • 返信
 
えっちゃん
お久しぶりです。
「遠近法」と言う言葉に沿うなら、「私に」遠いか近いかが基準であるべきなんですよね。
しかして天地の万物はあらゆる方角に向かって(同時に)すぼまっているのが私たちの主観です。
ましてや地上が丸い事については、小さな視界の範囲だろうが、頭が水平だと言おうが何だろうが、手あかのつかない私たちの無垢な目には感じ取れて居るのです。
そうわかって一つまたひとつ、がちがちな「暗記科目」や「迷信」や「外来の定規=テンプレート」を手放すほど
親分のえっちゃんが直に絵筆を振るいに出てきやすくなります。
※そうしたものからの自由を、私も無意識に「フリーハンド」と呼んで
コミュの名前にしたのかなと思います。

そう、ともに描き続けて行きましょうね。

  • [10]
  • 10 2008年08月14日 12:23 えっちゃん

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時01分54秒
  • 返信
 
>漫画やアニメの中で、定規で、遠近法で描かれた和室、
巨大に描かれてるわけでなくても何かしっくりこない「でかすぎ」感を感じる事は無いでしょうか?

あります!
ラフスケッチの段階では感じないのに、定規を当てて遠近法で清書しようとすると、感じるのです。
だから「自己流狂った遠近法」で描いたりしてます。

【一沈】さまとPAPAさまの立体講義、とても有難いです!

とりあえず私は描き続けていていいんだと思いました。

  • [9]
  • 9 2008年08月14日 03:45 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時01分15秒
  • 返信
 
>まっちゃん
そう言う貴重な経験に是非親しんで、その事で「親分のまっちゃん」が知らぬまに顔を出しやすくなってきます。
そうして、親分が必要な時必要な間顔を出すまっちゃんになって下さいね。
絵に限らず何時か、人生百般に益する事になるはずです。
そこに絵描きと言う道の、人生にもやがて利する「芸道」たる所以があります。

  • [8]
  • 8 2008年08月14日 03:34 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)15時00分33秒
  • 返信
 
ちぃさん
コメントありがとうございます。
親分のちぃさんが出て来た時、先輩も後輩も先生も生徒も上も下も
何にもないんですよね。
その時は拝みあうしか無いのです。
そしてお互いの親分はどちらが古株なのでもないのですね。

さて、これは別件ですが、「遠近法」(を含めた理屈全般)についてです。
漫画やアニメの中で、定規で、遠近法で描かれた和室、
巨大に描かれてるわけでなくても何かしっくりこない「でかすぎ」感を感じる事は無いでしょうか?
別に和室でなく都市の町並みでも同じなのですが、
事に和室の時にそれがハッキリ感じられます。

遠近法の理屈ではこちらに来るほど放射状にでかくなる事にはなってるんですが、
実際には私を通り過ぎれば後方に向かってすぼまってるのが世界だし、
真正面から観た壁も、右と左にすぼまっています。
つまり、これもまた理屈なんですが、何を描くにもこの世と言うものは
幾分魚眼ぎみに描くしか無いのです。
それを自然に見えるように描くには、やはりフリーハンドで「直線」とも「魚眼」とも囚われ過ぎず
「自然に」、と、描くしか無いのです。

全ては目に映る、と言う以上に、
私たちの頭や心の「翻訳理解」の中にしか元画像は無いからです。
そう言うモヤモヤを固定化しようと言う試みが近視眼的なデッサンな訳で、
ものの理解や把握は、「腑分け」によって「生命」の全貌を掴む事のように難しい。
難しいけれど、
よく直感で、
よく閃きで、
エジソンが電球のイマジネーションを得るのと似た把握と言うのが
人間には備わっています。
直感や閃きで把握したものは『全体把握』といって、
部分部分の数式や情報の寄せ集めではありません。

よく「象」の当体把握の例話で言われるように、
「あれは風呂敷のようだ」「あれは丸太のようだ」「いやホースだ」....
でもなく、その全ての寄せ集めでもなく、
直接把握、全体把握だけがこれを能くする(よくする)。
というのは
物と物、人と人は、結局生命と生命の発する相互の信号の「翻訳理解」にしか
その実態(元画像)は無いからと言う事なのですね。

少し難解な話に踏み込んでしまいましたが、
理論以上にフリーハンドの力、「親分の自分」越しの力には
一層信頼して良い何かがあるのだろうと言う程度に
この段ではご理解頂けたら十分かと思います。

長々失礼しました。

  • [7]
  • 7 2008年08月14日 02:52 マッチャン

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)14時59分50秒
  • 返信
 
天然現象に変る・・神風が吹く・・そういう瞬間が、お!来た!って思えるとき波に乗れた気分になりますね。

  • [6]
  • 6 2008年08月14日 01:04 ちぃ

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)14時59分11秒
  • 返信
 
拝読させていただきました。
私みたいなちっちゃい者が、感想を述べるのもおこがましいのですが、
黙ってページを閉じることは出来ませんでした。
お二人のお話を聞かせていただき、なにはともあれ
やっぱり長生きしなくっちゃ、と痛感しました・・・。
喰うためのスタートであったために、若くして自分のタッチを全面に売り出すことの出来ている方をみると、はっきり言って、羨ましいのと、情けないので気持ちが負けるのですが、
私は私の道を、しっかり歩んで行くしか無いですね。バカになれる程の勇気がどれだけ持てるかわかりませんが、とりあえず手綱を緩めずに、魂だけは、素直に、汚さずに、
まじめにコツコツやろう、と思いました。それだけです。
特別講師の一沈先生と、PAPA先生!ありがとうございました!!!

  • [5]
  • 5 2008年08月13日 22:42 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)14時58分19秒
  • 返信
 
書き忘れました。
「拍手!」

  • [4]
  • 4 2008年08月13日 22:39 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)14時57分36秒
  • 返信
 
いや、
嬉しくってニマニマするばかりです。
最初に絵を一幅拝見した時、
既に上記頂いた事のほぼ全体像を無音にして聴いておりましたから、
あらためて、
私の方こそマンマと引摺り込ませて頂けたと...

私がMACというパソコンを手にしたのが2000年で、
それからずっとこう言う「道友」の無いものかと根気よく探していたからです。
道友と言うには私から何とかお背中を見失わず歩ける位の先輩ではありましたが。
私の勝手な気持ちとしては
8年目(実は53年目)にやっと、この孤独な荒野でたった一人見付けた
同じ道中の人だったわけでして。

塾生の皆さんにも
ここに頂戴した『講義』は非常に貴重な物になると思います。
「バカ」の話、とてもよく分ります。
その事を私一人の言葉で書いている内はモノラルでしたが、
新しい言葉で聴くと「立体」を得たようで有り難くてなりません。

「美」は自分の手が描く以上に「美は自らなる」と思うのですが、
「美は自らなる」ために「バカな絵描きの身体」が要る訳ですね。
いや、それが要るから「バカ」になる訳じゃなく、順番は逆なのかも知れませんが、
バカになるくらいの没頭時代が必要だとは思います。
自分と思ってた自分が居なくなった時「美」が自由に使ってくれる「エカキノカラダ」が出来てる。
自分と思ってた自分は、「親分の自分」ではなく
「参謀」だの「代貸し」だの小賢しい連中だった訳で、
そいつらが黙った時初めてすっくと立ち上がって顔を見せるのが
「親分の自分」なんですよね。

参謀や代貸しが「バカ」になる頃、
ココロの親分の琴線ひとつで統率された自在なエカキノカラダが出来てると。

 いや、今はこれ以上口挟むのは控えましょう。
このコミュが迎えた初めての客員講師による
「特別講義」でした。
ありがとうございました。

  • [3]
  • 3 2008年08月13日 21:22 【一沈】

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)14時56分25秒
  • 返信
 
ご紹介いただきました、【一沈】です。PAPA尊師の口車にのって、ぼくのところへこられた方はこれから不幸な人生が待っています。ははっは。

デッサン、という言葉は西洋の概念であります。遠近法に基づき世の中の光景がどう見えるかを西洋合理主義のもとに確立した概念です。
これが問題で、ぼくはこのトラウマに悩まされ、多分45歳位まで自分なりの絵が描けない、描きたくないという症状に悩まされ続けたのです。
それまで、カンプライターという仕事をしていましたから、人がこう描けといわれればその通り描くことは一日に15点30点と描きました。
技術として描けることと、自分なりの絵が思い浮かび描くことが出来ることとは、まったく違うことなのです。
あるきっかけがあって、ぼくはある日、とあるテーマで描くことができていることに気がついたのです。その日のうちにスケッチブック一冊でも足りないほど描きました。
絵が描けるという事はこういうことなのだと、その時初めて気がつきました。
絵が描けるとは、その人の脳裏に明確な映像がはっきり定着し、その映像をそのまま
手に伝達されぼくの思考を通じずそのままダイレクトに描けることを言うのです。

修練により,手と頭の間にすざましい情報交換が行われます。
絵を描くと言う,人工的なことが,上記の作用で天然現象に変わる時があるのです。
それをぼくはアートだと思っています。
人間のする,愚かな小さい仕事がある境を超えたとき、天然に変わります。
その辺の立木は,見飽きて感動が無いでしょ?それはあまりにも自然だからです。
人類はその辺の自然現象を「美」だとすることをやめた時から妙になりました。
改めて,ぼくたちは小さな自然現象にも感動を覚える自己鍛錬,あるいは経験が必要になっています。
話を元に戻すと、
カンプライターと言う過酷に絵を描く作業はぼくの手を馬鹿にさせる訓練をさせてくれました。
馬鹿になるほど、描かないと駄目です。
この場合,バカとは自分という小さい世界を棄てるという事です。
妙な自分の意図など絵の中に入れては駄目です。

絵を描く前に生活の中でいろんな思いを揉んでください。
でも、描く時はそんなもの忘れてください。自己はそんなとき必要ありません。

絵を描く要素は、絵を描く前にいかに自分の中に描きたいイメージを蓄えられるかです。絵のこと以外に暮らしをいかに過ごすか、いろんな知識と体験をいかに吸収するかが絵の元になるのです。

さて、また、デッサンのことに話を戻します。
最近、ぼくは日本の絵の古典に接し、今更ながら、感銘を受けるのです。
このとき、応挙はかなり西洋的デッサンに近いのですが、それでも、厳然とした日本的視野の中にあるのです。
いろんな浮世絵の人物の裾を見てください。なんとたぷたぷとした描きようでしょう。
あんなに曲線が和服にでるわけないのですが、かなりの曲線を使っています。肩から腰に、そして裾に、なんという曲線の優美さなのでしょう。

あそこに、日本的ものの見方を見ます。
美しいもの、かっこいいものをどうとらえたら良いのだろうか,という絵師のものの見方です。
自分の脳裏に想像した画像がそこにあります。
西洋的デッサンなら後ろに回ってしまって視界から消えるものでも,日本の絵は無理やりでも表に引き出してみせてしまいます。
絵として必要ならそれは見せてしまうのです。
そこが,絵なのです。

西洋的デッサン概念の究極は,写真であります。写真がこの世にでたとき,もはや人が描く必要は無くなったと言えましょう。

ぼくたちの描くべきは,そんなもじゃない、目に見えるもの,誰でも見えているものじゃない。ぼくしか,貴方しか見えない,心にしか描けないものを描くべきなのです。こんなこと,100年も150年も前から解っていたのです。

最後に,ぼくの先輩の言葉を言います。
「俺はな,デッサン下手やさかいに,ほかの手段を見つけたんや。」
彼はジャンクアートに40年ほど前にはいり,やがてガラスで支えられた岩石を空中に浮かす日本を代表するアーティストになりました。

デッサンがすべてではない。でも,デッサンで養った目はこんなぼくでも何かがあると思っているし,感謝したいと思っている。

【一沈】

  • [2]
  • 2 2008年08月12日 23:49 PAPA

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)14時54分27秒
  • 返信
 
素晴らしいでしょう?
って、私が自慢してもしょうがないんですが、
私も最初にあのさばの墨絵を見て以来
ずっと惚れっぱなしなんです。
亦そうであればあるほど、ここでお伝えしようと思ってる事に
間違いはないと言う確信も一緒に得られてる気がします。

  • [1]
  • 1 2008年08月12日 23:03 マッチャン

  • 投稿者:塾長(転載)
  • 投稿日:2009年 4月 9日(木)14時53分44秒
  • 返信
 
拝見させていただきました!素敵ですね~。でも墨の絵に特にしびれてしまいました。原画が見てみたいです。描くお姿も・・


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