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デッサンについてメモ

 投稿者:PAPA(中島光教)メール  投稿日:2011年 9月15日(木)01時49分24秒
  通報 返信・引用
  皆様ご無沙汰してます。
更新もせずに済みませんが実際書く事がありませんでした。
というか、云うような事、おこがましく教える様な事では無いのじゃないか?
と言う自問自答がいつもあって
中々書けずに居たんですね。
しかし今日は「覚えておいて欲しいちょっとしたメモ」なので書き留めさせていただく事にしました。

「顔は目鼻口でなく肉体デッサンである」
「身体はデッサンで無く表情である」

と言う事です。

印象に残りやすく覚えて頂きやすくするために極端な言い方をしましたが、
詰まり肉体と顔、どちらも同じと言う事なのですね。

人の顔の表情と言うのは、自分が名優だと思ってドラマの特定シーンの
特定の場面の表情を実際してみると分りますが
頬や口周りやおでこや、無数にある筋肉や骨の、
感情による微細な筋肉コントロール、
或いはコントロールを諦めざるを得ないパートの総合が
感情を湛えた表情と言うものになってるんだと言う事。

まゆと言うアーチや瞼、口と言った輪が、
笑った印、泣いた印、怒った印になって
福笑いみたく乗っかってるのが表情なのではないと言う事は
これまでもお伝えしてきた通り。
似顔絵も、私の場合は目鼻口が描き込まれる前の土台の部分(詰まり骨格や筋肉)が
その人の感情や性格やクセで、人によって或る傾向を持って動く。
そこを描く事で本当の意味でその人に似ます。

身体のデッサンも亦構造を写真やモデルや、
だれかプロの描いた絵から覚えてきて描く事が多いと思いますが、
これも身体の福笑いパーツと同じになってはただの「肉じゅばん」。
乃至は「肉じゅばんを着たマネキン」止まりです。

これも亦、例えば人と上手くいかなかった帰りのバス停で空を見上げて
ヤスメして立ってると思ってやってみて下さい。
どちらかの骨格にもたれて脱力した部分や、キュッと緊張した部分全部で
或る「しぐさ」や「気持ちの表れ」と云う表情を成しているのが分るでしょう。
胸もおなかも指先までも、
これは頬や口や瞼と同じ表情としてあるのです。

「顔も亦身体である。」
「身体も亦表情である。」
顔を描く時、身体描く時、そうした事を是非思い出して取り組んで下さい。

解剖してしまえばそれは味も何も無いただの構造物ですが、
怒った時こことこことここを緊張させて...などと
一々指示してるのでも無く、
平均台の上を歩く時ここをらくにしてこの指をキュッと締めてと
瞬刻瞬刻指示やプログラムをしてる訳でも無く
総ては「気持ち」が繊細にコントロールしているのです。

それから、そうした事が分ってくると
描かれた肉体の絵を見て、
「これではここが動かないだろう」「ここに収縮機能がついて骨のこの位置にくくり付けられて、どの程度緊張弛緩すればこう機能するはず」と言う事も見えてくるようになります。
その想像力は、例えば架空の生物を描いた時にも生きてくるし、
つぶさに観察した事は無いけれど或る生物を急に描かざるを得なくなった時にも
大きくは間違っていない絵が描かれてくるはずです。

「顔も亦身体である。」
「身体も亦表情である。」
と上に書きましたが、それは亦言い換えると
顔である事も一度忘れ、身体である事も一度忘れ、
その都度自分が或る感情の時は?
このシチュエーションに実際あった時には?
と、
身体の内側のニューロンから自分の隅々に問いかけたり会話したり相談したりしながら
感じた事を良く試行錯誤して描いてみて下さい。
それが或る意味の、もう一つのデッサンだと思います。
それは肉じゅばんやお面の形を記憶するデッサンでは無く、
丁度サンタの優しい眼差しや表情を描こうと言う時
一所懸命同じ繊細で美しい心の微笑みの表情に自分もなろうとしながら描いてる時のような、
「耳を澄ます事を永久にやめないデッサン」
「終わりの無い成長をするデッサン」
だと思います。

シンプルな事なのですがいつも長文になってしまい済みません。
しかしながら、こうした事を再確認で書き残さねばならないのは
私達戦後日本の大衆画の先輩達の
これまでの安直な仕事のせい、敬虔さの足りなかったせいなので
どうか許していただきたく思います。
そうした長年の無反省が「笑顔とはこうすればいいんだ」
「大声で飛びかかるシルシはこうすればいいんだ」と云う
安直なパターンが遺伝的に繰り返される事に一役かってしまっています。
その事を重々反省して後進達には、

絵と言う「モノ」を描くのでは無い
漫画と言う「モノ」を描くのでは無い
イラストと言う「モノ」を描くのでも無い

「それ」を初めて紙に持ち来すのだ
「何かのために」持ち来すのだ
と言うフリーな翼として絵を頂き直して欲しいと言う願いでこの浅い考察の一文を捧げます。

私は「先生」と呼ばれるような名のある絵描きでも無い、しがない従事者の身ではありますが
多くの私達世代の先輩達が、例の遺伝的な指導を展開して来てしまっている事への
これまでの無反省にたいする自戒でもあります。

www.mitsunorin.com

 
 
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