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10 2006年07月27日 12:18 MK
面白い話ですね〜。
ぼくはデッサンとかはちゃんとしたことがありませんが
絵を描くときは、いつもココロの中でまず描いて
それを紙に軽く落とし、そこで構図だけとって
パソコンへ向かいます。
ココロの中でしっかりカタチが創れていないと
きちんと表に出てこない気がしています。
きっとデッサンとかでも同じなんでしょうね。
塾長さんの話、とても同感しましたので
うれしく思い書き込んでみました。
11 2006年07月27日 12:25 PAPA
MKさん
書き込み有り難うございます。
そうですね...私達は、最初は立つ、歩くも中々ママならない子供の時代
(つまりこれはインプットに多くの時間をとられてる期間)を経て、
今では色んな作業がオートマティックになって、早くなって、
このインプット、アウトプットの2行程の時間が非常に短縮されているために、
普段殆ど1行程見たいな感覚になって、忘れてるだけなんですね。
ただ、私達は大きくなってからこの難物の「絵」に取り組んで居る訳で、
ここでは一度自分のプロセスを端折らないで意識し直してみるのは、
当然必要なのかもしれません。
12 2006年07月27日 12:32 HMさん
見る>貯める>描く。の繰り返しですねぇ。
どれぐらい貯めるか。どのように貯めるか。何を貯めるか。
技術以外のそういった部分で、個性は大きく左右されるのでしょうね。
たくさん意識して見ることで貯まるものと。たくさん描くことで貯まるもの。
両方を、欲張りに蓄積して行きたいであります!
13 2006年07月27日 12:51 PAPA
HMさん
HMさんの言葉であらためて思いましたが、
上記の2行程は、見る>貯める>だけでも単独で
生活中でやって行けるんですよね。
HMさんって、言葉がイイ。
それは絵にとってもプラスする資質じゃないでしょうかね。
上記2行程のどちらでもない、「真ん中に留まってる」時間と言うのもあるからです。
イイコトバの人は、きっと真ん中を利用しやすく「練る」力も出来てくるはずです。
...中略...
14 2006年07月27日 13:22 PAPA
更に雑記として
「対象物」←→「心の原版」←→「紙」の、
「対象物」←→「心の原版」で、対象物とこころ、
「心の原版」←→「紙」で、こころと紙、或いは筆を含め、
その2者が渾然と一つになって不可分になってる状態が、
人にはあります。
その状態を「没頭」とか「没入」とか言うんですが、
何時も、その「一体になり得る」のは心、真ん中、私、を通してなんですね。
...続く
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