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メール友達の前さんから「命」と題する一文が寄せられました。彼は、昨年末に親愛なる兄上がなくなられ、その悲嘆のさなかに書かれたものと思います。彼の心のうちがじかに伝わってくるような気がいたしましたので、了承を得て掲示させていただきました。感想、意見などお寄せいただければと思います。
「命」
私の兄は、9月初めに腹に水が溜まり、急遽入院20日程で一応緊急の処置は終わったとして退院、10日自宅に居たが、10月初め、今度は胸に水が溜まり、再度入院した。入院直後から数日間毎日1000cc・800cc・500ccと多量の水を抜く。原因は腎臓障害で尿が出ないためらしい。
10月終わり頃には 「正月まで持つまい」と言われていたが、1ヶ月が経過した。 11月22日夕方、突然呼吸困難になり、意識も無くなる。
急遽、主治医から患者の息子に電話で「人工呼吸器を付けますか?」「頼みます」 延命治療である、約2時間後、機械の力を借りて呼吸を始め、意識も確かではないが取り戻た。
人工呼吸器を付けると言う事は(口から喉の奥、気管まで約直径1cm弱のパイプを挿入する、余程回復しないと取れない。無断で取れば殺人罪の係争となる。)
患者は苦しく仕方がなかった様で、約20日間に、2回患者が自分で引き抜いた。 「3回目に挿入したら又抜いてやる」(抜いている時)3回目を挿入し右手をベッドに縛られた。
患者の苦しみを緩和するため、睡眠薬を点滴に混入し、眠らせて右手を解放した、しかし反面、意識モウロウ、患者は夢見の気分だろうか?
延命治療に入って近親者が24時間付き添っている。
そこで考える事は、延命治療(呼吸器取り付け)の可否である。
親・子・家内等の近親者は「一日でも永く生きて貰いたい、万分の一の確率でもそれに賭けたい」のが人情である。
医者の立場からは、過去の本人の検査データ・学問的な資料から或る程度の判断は付くだろうが“万分の一”の“のぞみ”が無いとは言えない。
しかも危篤状態は突然来る、咄嗟に相談して、即決しなければならない。
(延命治療をしないためには、病気になってから患者に聞けない本人の意識がハッキリしている内に書面に記載しておくことらしいが、)
延命治療(人工呼吸器)がどんなものか、患者は勿論苦しむ、兄は言葉では言わなかった(言えなかった)2度自分で抜き「3度入れたら抜いてやると言った、」(抜いている時)そして3度目入れて手を縛られ「苦しいだろうから、睡眠薬を点滴され眠らされ“生きているだけ”兄の場合1ヶ月続いた。(兄はテレビが好きだったから見ないテレビを1ヶ月附けていた息子の思いやりである)・
一方近親者はどうなるのか?患者に付けられた脈拍計・血圧計を見守るだけの24時間付き添いである。 兄の場合教育公務員年金があり更に原爆認定証があり、治療費は概して心配無かったようだが、普通は治療経費の負担がある。
弟(私)の立場で考えると回復の見込みが立てば“勿論”全力で治療する。
「可哀想でたまらない、“心臓・腎臓・肝臓の多臓器が重体”、家族団欒ができない、欲しい物が飲食できない、楽しいドラマが楽しめない、延命治療をしない方が好いのではと疑問に思う、
不人情の様だが 「なんの楽しみもなく、ベッドの上で生きているだけでは長生きとは思わない」これが人命尊重であるのだろうか?
因みに私がその状態になれば延命治療はして欲しくない。
人間の尊厳を重んじるなら、惨めな延命治療をしない方が良い様にも思うがどうだろうか?
事前の準備ができていない上、咄嗟の判断に人情が絡むのは当然である。
決して息子さんの処置を咎めるものではない。
意見を聞かせて頂ければ有難い。
悲惨な闘病生活、通算約100日、兄は12月23日夜10時37分に亡くなった。12月25日津山の葬儀場で凡そ80人の会葬者に見送られ天国に逝ってしまった。
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