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今井 俊昭

 投稿者:秋の例会  投稿日:2017年10月12日(木)10時01分51秒
返信・引用
  皆様、
秋の例会は下記の通りです。

日時 : 11/18(土) 13:30-16:00
場所 : 東京経済大学1号館2階のオープンスペース
議題 : 「14歳からの哲学」から15「友情と愛情」

小論文をお書き下さい

いつものように16時からピーナッツハウスで懇親会を予定しています。

よろしくお願い致します。
 
 

他人とは

 投稿者:なべちゃん  投稿日:2017年 5月26日(金)02時38分23秒
返信・引用
  他人とは

自分とは何ぞや・・・と大分苦しんで、「存在としての自分」が何とか理解できた。
そうしたら今度は他人とは何ぞやと・・・「自分以外の人に決まっている。」と、中学生の自分は答えるだろう。しかし、もう何年も読んで考えるようになったから「自分を通してみる世界に存在する人」くらいにはなったが、池田さんはこの問いかけを14歳に分かりやすく語るのだからすごい。
でも「大きい方の自分」は、世界も自分で、他人も自分という。自分には見えているし、わかっているつもりでも、この世界が概念であることを理解するには時間がかかった。
すぐには理解できなくて、読みながら絵を描いてようやく腑に落ちた。
他人にはなれないし他人の痛みを知ることもできないというのは、小さい方の自分の考えであるという。
でも、他人が痛がっているのを見て痛そうだなと思う。悲しんでいるのを見て一緒に悲しくなる。そのとき人はどこかで、その人は自分だと知っている。これは大きい方の自分。本当に、今回のイギリスのテロ事件で泣いている人を見てこちらも思わず涙するのは、泣いている人が可哀相だから泣いているのではなく、「もし自分がその立場だったら・・・」と、思わず自分がその感情に入りこんでしまい悲しくて泣くのだ。

すべてである自分には内も外もない。自分が見ている世界は、すべてだから内側も外側もないというけれど。
でも、他人を理解することは難しい。これは自分の器の問題なのか、フィルターがゆがんでいるから正しく見えていないのか、何が正しいのかわかっていないからなのか、色々考えてしまう。池田さんに思想や感情や自分の語彙と歴史や背景をミックスして「正しい」ものを見つけなさいと言われそうだ。
 

他人とは何か?

 投稿者:大野  投稿日:2017年 5月23日(火)16時55分13秒
返信・引用
  他人?私の頭にまず浮かんだのは、分子生物学的にヒトとサルの遺伝子DNAの違いはほんのわずか、自分と他人の個体差に至っては、もっとずっと小さい、ということ。
しかしながら、自分の遺伝子DNAが自分なのか?と考えると、なんか変だ。単なる物質であるDNAが私と同じように喜怒哀楽を感じたり、東西南北の会に興味を持ったり、さらには私のように私自身だと認識しているのか?無理だ。

では、自分とは何か?他人とは何か? 改めて池田晶子先生の本を読み返す。
ヒトは、他人(母)がいることに気付くことが、自分を認識するきっかけとなる。からだが別、心が別、だから自分と他人は別々と思う。このときの自分は「小さい方の自分」。一方、哲学的には、自分は世界、すべては自分に依り存在する。このときの自分は「大きい方の自分」。後者では、自分でないものは存在しないから、他人なんてものは存在しない!?

認知症初期の人は自分が変化しているとは思わず、周りの人や世界が急に変わっていく、と感じて不安になるらしい。死の直前には大きな天変地異のようなものが起こり、この世が終わるかもしれない、と感じるみたいだ。大きい方の自分がどんどん大きくなるのか。
(40代から多少の差はあれ遅かれ早かれ血糖値が上がる度に血管が傷み認知症が進行する、過剰な炭水化物、糖分、暴飲暴食は控えるべし)

最近知り合った他人は、刻々と変化する。
変なおじさん、が、口数の少ない熟考タイプの知的な老紳士に、
気品あるご婦人、が、怪しい策士に、
騒がしそうな派手な女の人、が、気遣いの達人に。
彼らは私の創作した世界の登場人物なのかもしれない。
(第一印象のイメージが間違っていただけかな?)
 

14歳からの哲学 【10】他人とは何か

 投稿者:新井せいめい  投稿日:2017年 5月23日(火)02時17分28秒
返信・引用
    今回のお題も、いったんは分かったつもりになっていたのですが、読み返してみると
早合点している事に気付いてしまい、結局、よく分からない、と分かっただけでした。

  【6】「自分とは誰か」という章があったので、「他人とは何か」を理解できたつもりの
自分は、その裏付けになるはずの【6】「自分とは誰か」を読んでみて、考えが崩れた
感じです。

  しかし、もうこうなったら仕方がありませんので、自分の理解が正しいかはさて置き、
こうだ、と想った考えを発表させていただくのみです。もっとも、池田さんも、この
問題は大人もほとんど誰も分かっていないと言ってますので、当たって砕けろの
心境でいきます。


■分かったと思った理由
①体験から
 他人事とは思えない事が時々起こりますが、それは正に自分事と捉えた瞬間であり
「その他人=自分」になった瞬間ではないでしょうか。その他人にしても、同じような
体験を日常的にしているはずです。

②想像より
   自分とか他人とかいうのは、互いが自分という主観に従った平面的な捉え方であり、
体的に捉えて自分と他人を空から見下ろす第3者から見たらどうみえるのでしょうか?
  この時、第3者からみれば、どちらもただの人で、見た目大差ない2人の人が見える
だけでしょう。例えば、アリの集団を見下ろして彼ら個々に意識があったとしても、
こちらからは「自も他も」区別なく、全部一緒に見えるがごとくです。
  つまり人としてこの2人は同じなのであり、彼らの主観的な言い方を借りれば
「自分=他人」とも言える、ということになるのではないでしょうか。

 ①②より「自分=他人」と言えなくもない。あるいは、時々そう言える瞬間があるように
思います。それが世界中でこの瞬間にも起きているだろうし、特に②の感覚で世の中を
俯瞰するならば、この「自分=他人」という話になるのだろう、というのが新井の考えです。
 

他人とは何か

 投稿者:やまたけ  投稿日:2017年 5月22日(月)21時10分30秒
返信・引用
  ・自分(の意識)にとって自分は全て(絶対)である。
自分が存在するから自分の世界のが存在している。
これはわかるような気がする。

・他人も自分が意識・認識しているから存在している。
では、自分が存在していなかったら他人も存在していない?

そんなわけはなく、自分とは関係なしに他人は現に存在している。
僕が死んでも世界は今迄通り何事もなく回り続ける。

だが待てよ、もう一度確認だが自分にとって自分の世界(存在)は絶対だ。
その絶対の世界観を持つ自分が他人の存在をもたらしている。
となると自分=他人、、、

無限ループ、メビウスの輪だね。確かに。
 

池田晶子著「14歳からの哲学」10『他人とは何か』

 投稿者:もりかん  投稿日:2017年 5月22日(月)20時09分42秒
返信・引用
  他人とは、自分を通しての他人であるということ。自分が存在しなければ、他人も存在しない。

ここで中学生は、だから、自分は特別。偉い。などと勘違いをしがちであるが、そこは池田さんも文中で釘を刺している。

否定や非難をすることなく、自分の存在と他人の存在を中立に認めることが社会を生きることと思う。

ただ、ある。存在するという自分の意識が大切。

自分の意識があること自体に感謝したい。
 

「他人とは何か」を読んで

 投稿者:佐藤 信   投稿日:2017年 5月21日(日)00時10分27秒
返信・引用
  平成29年5月27日(土)の討論会へ向けて
池田晶子著「14歳からの哲学」Ⅰ?10『他人とは何か』を読んで

  昨年の春の会に出席出来なかった。昔の得意先の社長がイスラエルの地中海に面したネタニア
 という市に平和を願ってプラネタリウムを寄贈、竣工式に呼ばれたためだった。不思議なことに
 この会の今井さんの従兄弟さんもご一緒し、それも帰って来てFacebookでお互いに書込みをし
 て分かった。まったく不思議な出会いだった。

  今回の池田晶子さんの「他人とは何か」を読んで今回も難解な文書で苦労した。ただ要するに
 池田さん読み解く基本は「存在論」なのでその線で読み解くと分かって来る。確かに14歳の中
 学生を対象にしているので、平易に書こうとして却って難解になっているところがある。
 例えば67Pの4行目、「自分が絶対的であるというのは、考えているのは自分だし、見ているの
 も自分である。自分でないものが考えたり見たりしているということはありえない、そういう意
 味で絶対的だということだ。こういう自分を「大きい方の自分」と呼ぶことにしよう。と突然
 「大きい方の自分」という概念が飛び出して来る。「世界が存在するから自分が存在するんじゃ
 ない。世界は、それを見て、それを考えている自分において存在しているんだ。
 つまり自分が世界なんだ。」 この辺が「存在論」の池田晶子さんの真骨頂である。

  「自分は自分でしかないことによってすべてである」つまり、自分自身がまず存在するから
 他人が見え世界が見えて来るという訳で、まずは自分の存在がなければ全ての存在がなくなると
 いう事が言いたいのである。69Pの4行目、「他人の痛みはわからない、他人の心もわからない
 のは小さい方の自分からしか見ていないからだ、それが大きな自分から見る=まず自分の存在が
 あって他の存在があるということに気づいていれば、小さい他人同士は繋がっているので、悲し
 んでいるのを見て一緒に悲しくなれる。釈迦やキリストがそうであるようにと書いてあるが果た
 して本当にそうなのだろうか?

  さて、少し前にヒットしたアニメ「君の名は」で主人公の男の子と女の子が入れ替わる。また
 題名は忘れたが少し前の韓国ドラマでも同じような男女が入れ替わる話があった。
 昔、長野で仕事をしていた頃に月一の異業種交流会があって10人+αのメンバーで近況を聞く
 会だった。それぞれのメンバーの話がまるで自分が経験したと思えるように感じた事があった。
  また、東京に戻ってからの話、京都の能の先生が月に一回東京に来て教えてくれた。
 場所は都内の和室のある区立の施設。その講座の冒頭で準備運動のように毎回、瞑想する。
「能舞メディテーション」という講座名も頷ける。座布団に座り目を閉じて意識を頭の天辺から下
 に降ろして来る。前髪を通って、おでこを通って鼻筋を下り、唇の上を通り顎に抜け顎から喉仏
 を下りて胸の中央を通っておへそを通り丹田を過ぎて、下腹部へ、お尻を通って上に上がる。
 腰を上がり背骨を上がって首筋の後ろを通って頭の後ろ、そして頭の天辺に戻る。それを先生が
 ゆっくりとした呼吸と声掛けで順番に意識を集中させる。実際にやっている時には変なことをす
 るものと思っていたが、今にしてみれば身体の隅々まで意識を行き渡らせるということはまずは
 自分を知るという事に繋がり自分の存在を再確認するいい方法なのかもしれない。

・ ・(平成29年5月20日 午後9時27分)

                                    佐 藤  信

http://haruyoshi111.blog106.fc2.com/

 

5月27日に決定

 投稿者:今井 俊昭  投稿日:2017年 3月12日(日)22時19分47秒
返信・引用
  失礼しました。土曜日は6日、13日、20日、27日。5月27日のご希望が多いので5月27日に開催します。13:30に一号館2階のフリースペースに集合して下さい。  

春の例会の日程

 投稿者:今井 俊昭  投稿日:2017年 3月 3日(金)19時44分56秒
返信・引用
  皆様、
いかがお過ごしでしょうか。
早や3月になりましたが、春の例会の日程の検討をしたいと思います。
私は5月でしたら、4, 11, 18, 25日(いずれも土曜日)いつでもOKです。
ご希望の日取り(もしくはダメな日)をお寄せください。

お題は「14歳からの哲学」から「他人とは何か」です。

宜しくお願い致します。

今井 俊昭
 

池田 晶子さんのイベントがあるそうです。

 投稿者:佐藤 信  投稿日:2017年 1月23日(月)12時39分53秒
返信・引用 編集済
  「池田晶子の言葉と出会う』
Bギャラリーでは、2007年に他界した文筆家・池田晶子の言葉を紹介する展覧会を開催します。本展では、没後10年となる池田晶子の全29冊の書籍の販売を始め、壁面に彼女の言葉を展示し、ギャラリー内に本に見立てた空間を作ります。

ビームスジャパンはここです。
     http://www.beams.co.jp/shop/j/

会期中には、各界の最前線で「言葉」と対峙・格闘されている表現者の方々のトークショーも行います。 “書き手が死んだ後にこそ、言葉は真に読まれる”、そう公言していた池田晶子の言葉に、新たな読者が出会うことを目指します。どうぞご期待ください。

協力: KADOKAWA / 講談社 / 新潮社 / 中央公論新社 / トランスビュー / 本願寺出版社 / 毎日新聞出版 / NPO法人 わたくし、つまりNobody

http://www.beams.co.jp/news/248/

http://www.beams.co.jp/news/248/

 

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